アニメ「やがて君になる」の6話に出てきた、こよみの小説「タイトル未定」について、書き起こしを行ってみました。
原稿をめくりながら読んでいるので、ページが被っているところの文字が読み取れませんでしたが、内容から推測してなるべく完全な文章に補完しました。
ただし、細かい言い回しは本当の作品とは違う可能性がありますし、推測が困難な部分は「〇〇」といったように伏字で表現していますので、その点を許容できる人のみご覧ください。
「タイトル未定」
1
ペーテル・ペーテルゼンの名前を知ったのは、随分むかしのことである。彼もまた読まれない著者の一人であった。そうして今も、私があれほど熱心に読んだ一冊の本は、書庫の隅っこで、相変わらず黴にまみれているのであろうか。相変わらず放り出されているであろうか。
それはギリシャのピタゴラス学徒について書かれたものであった。私は今まで古典の研究で、あれほど鋭い、また実り豊かな論文を見たことがない。ペーテル・ペーテルゼンにはそれ以外に著書はない。そうしてそれは、彼の二十三歳の時の冬であった。私は、同年ではあるが、すでに一家の風格を持っているこのボン大学の私講師の研究にどんなに魅惑されたことであろう。図書室の細長い窓から見える裸木が、風に揺られるのを凝然と眺めながら、最後のページを読み終った私は、私もまたボンに行きたいという思いで一ぱいだった。行ってペーテルと共に研究したいと思ったのである。四年間、埃の中に埋もれていた宝石を掘り当てて、私はどんなに嬉しく感じたことであろう。
しかし今は、その書物について話をするのではない。私は私の子供らしい望みを満足させることができた。私はペーテル・ペーテルゼンと友達になることが出来た。私は彼について──今は死んでしまった私の友達について、ただ一人の友達のその〇〇な死について語りたいのである。
思うに、悲しみというものは、人が熱い湯に入った時感じるように身体中に染み渡る。それは生理的なもののようだ。私はペーテルのことを思う度にそれを感じて、時に強く悲痛が私を襲うのを知る。私はそれに抵抗しようとは思わない。読者には感傷を許していただかねばならない。私はただ、私の亡友について断片的に物語るに過ぎないだろう。ただありのままを物語るに過ぎないだろう。
それにしても人々はペーテル・ペーテルゼンの死に私とともに悲しんでくれるだろうか。いやいや、ある人々にとっては、この話の主人公は、その存在すら信じられない架空な人物としか思われまい。のみならず、この話は数について語られる。それは私の友達の生涯を支配したものであった。しかしこのことは、この話の興味をある意味において殺ぐでもあろう。が、私は物語作家ではない。その故に事実は曲げられない。繰返していう。私はただありのままを物語るに過ぎなかろう。私には小説的才能がないのである。私はたかが一介の哲学教師に過ぎない。それもカントによって罵倒された哲学史そのものが自分の哲学である、なんの独創力もない平凡な哲学教師に過ぎない。
2
とはいえ、かつて私にも速かに夢みた若年の時はなかったか。私がドイツに行ったころは私もまた人並にさまざまな希望を持っていた。そうして、以来次々にそれらの夢は破られたが、なかんずく、先ず第一に、かの地に行けばペーテル・ペーテルゼンと共に研究することが出来るであろうという、長い航海の間、絶えて私の頭を去らなかった強い期待は、上陸すると間もなくたちまち空なものとなった。なぜかというのに、ペーテル・ペーテルゼンはすでにボン大学にいなかったから。もともとペーテルゼンには友達というものがなかったのである。だからもちろん、なぜ彼がボン大学を去ったか、等という理由を知っているものもいようはずがなかった。ともかくも、それが唯一の目的ではなかったにせよ、私はドイツでの最大の楽しみを奪われたのだった。私はベルリンに行き、一週に二回、リッケルト教授の講演に出た。しかしそれは私には張り合いのないものであった。
私はあの当時、カルル・シュトラァセの日の光も射さぬ下宿の三階で、毎日味気ない日を送っていたことを思い出す。並樹の菩提樹の枯枝に風邪が吹き荒ぶ二月のころであった。
ある日、食事を持って来た女中のナンネルが、隣りの七号の空部屋に人が引越して来ると告げた。それで私は外出した。騒々しい物音の中で多分午後を過さねばならないと思ったから。私が帰ったのは夜になってからであった。薄暗い廊下には電灯がぼんやり光っていた。そうして引越しもどうやら全く済んだらしかった。何もかもひっそりして、ただ時々木枯しのドッと吹きつのる音だけが聞えていた。
私は自分の部屋の机の前で、風の合間に途切れ途切れに聞えて来る都会のもの音に耳を澄ましながら、何か郷愁に近いものを感じていた。それは私にとってめずらしい心持に違いなかった。いつの間にか霧がかかったと見えて、町の灯が朧にかすんで、私の窓ガラスの向うにほのかな円光を輝かせているのであった。その時、突然、私はかすかなピアノの音を聞いた。はじめは極めて聞き取り難いまでに低い音であったが、不意にその音が高まって、非常に素朴な、しかし、意味深い一つのメロディーになった。それは随分昔の誰かの対舞曲である。われわれのすべてが知っていて、そうしていつの間にかその親しさのゆえに忘れている、そういう旋律の一つだった。それは今日越して来た隣りの部屋から洩れて来るようであった。繰り返し繰り返し、新しい私の隣人は弾く。同じ諧調を。同じ旋律を。私はずっと目を見開いて聞いていた。およそ一時間余りも私はその単調な、奇妙に心をひく音楽の旋律に、時を忘れていたでもあろうか。
すると、唐突にその音が止んだ。そうして、いかにも荒々しくピアノの蓋を閉じる音がした。
〇〇!
〇〇な声がそういった。そうして何か物を投げたような大きな音がした。それから再びすべてが静かになった。ただ風はますます強くなるようであった。私は立ち上って窓から舗道のほうを眺めて見た。夜も大分更けたと見えて、もはや人通りも稀であった。紙屑が強い風に吹かれて心細気に飛び散っている。人一倍好奇心にとぼしい──それ故に時として冷淡だと人からいわれる私ではあるが、私の新しい隣人はなんとなく私の注意を引きつけた。「秋深き隣りは何をする人ぞ」ふと私はそういう句を思い出し、そうしてその矛盾に苦笑した。私は今ベルリンにいるのではないか。のみならず今は二月ではないか。朝に来り、夕に去る慌しいアパートの隣人に──この茫々たる大都会の中で、私は遠い故郷の詩人の遠い句境を押しつけようというのか。曇った空には星明りすら見えなかった。隣室からは物音一つ聞えなかった。
翌朝ナンネルが私にこういった。
──隣りにいらした人は、そりゃあ奇妙な人なんです。朝御飯を持ってったけど、いらないんですって。そうして何か口の中でぶつぶついいながら、まるで檻の中の熊みたいに歩き廻っていらっしゃるんです。何をいっているかと思って耳を澄ましていたら、ナナアツ、ナナアツ(ナンネルは七という言葉を大層重々しく発音した)って呟きながら……ふ、ふ、ふ、ふ、あの人気違いなんじゃあないかしら。まさか恋人が七時に来るんでもあるまいし。真蒼な顔をして、眼の色を変えて、ナナアツ、ナナアツ、ですって。あたし少々気味が悪いわ。……
私はこのおしゃべりな女中のいつ果てるかもわからない舌のそよぎを止めさせるために早速朝飯に手をつけることにした。ナンネルはナナアツ、ナナアツ、とつぶやきながら、大笑いをして出て行った。
それにしても新しい隣人は確かに一風変った男であるらしかった。
その午後、私は通りがかりに、隣室のドアに無造作にピンでとめてある名刺を見た。それにはペーテル・ペーテルゼンと印刷されてあった。
ペーテル・ペーテルゼン!箆棒な!
感想
叶こよみさん……あなた本当に高校1年生ですか?
確かこの作品のモデルとなった高校は結構頭の良い学校だったと記憶していますが、それにしても、ねえ?
スピンオフでこの小説出版してくれないかなあ……。
追記
これ、完全書き下ろしのオリジナル小説ではなく、花田清輝の小説「七」の冒頭のようですね……。
この人、構成と脚本の花田十輝の祖父に当たるそうです。
なるほど。そういう繋がりか……。
できれば書き下ろし原稿が読みたかったですが、仕方あるまい……。